山口地方裁判所 昭和42年(わ)46号 判決 1972年7月05日
本籍
愛媛県松山市千舟町七丁目一〇番地三
住居
東京都港区芝三田一丁目三四番地シヤトー三田
北辰商品株式会社社長
北内正男
大正九年三月二六日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、当裁判所は検察官清水博出席のうえ審理し、次のとおり判決する。
主文
被告人は無罪。
理由
(本件公訴事実)
本件公訴事実は、
「被告人は永く株式仲買、穀物仲買等に従事していたが、昭和三六年一月から山口県下関市長崎中央町に居住し(同三九年一一月ころ同市幡生町に転居)自己の経営する株式会社丸上或いは北辰商品株式会社の営業として、関門商品取引所東京穀物取引所等の開設する穀物或いは商品市場において、小豆、手亡豆、砂糖等の穀物商品の先物取引をおこなうと共に、自己個人においても、株式会社丸上(昭和三九年三月三一日以降社名を北辰商品株式会社と変更)に委託し、継続して穀物砂糖の先物取引をしていたものであるが、所得税を免れる目的をもつて虚偽架空の名義を用いて先物取引をし、その利得金は右架空名義取引口座の委託証拠金に繰入れ、或いは虚偽架空の名義で預金するなどして所得を隠匿した上、
第一、昭和三八年中における自己の給与所得額二、四一四、一七六円を含む課税所得額は二二、九五一、五〇〇円であるのにこれを秘し、昭和三九年三月一六日までの確定所得申告期限内に、自己の確定所得申告書を所轄下関税務署長に提出せず、もつて不正の行為により右課税所得額に対する税額一〇、九四二、六八〇円を免れ、
第二、昭和四〇年三月一五日所轄下関税務署において情を知らない税理士久富寿一を介し右署長に対し、昭和三九年中における自己の確定所得申告書を提出するに当り、同年中の課税所得は四八、一六二、八〇〇であるのにことさら、これから右先物取引における所得等を差引き、同年中の課税所得は六、八一五、三〇〇円でこれに対する申告納税額は六一一、四四〇円である旨虚偽過少の記載をした確定所得申告書を提出し、もつて不正行為により、
正当な課税所得額に対する税額二五、六五一、七五〇円につき二五、〇四〇、三一〇円の所得税を免れ
たものである。」
と言うものである。
(当裁判所の判断)
一、取引主体の点はさておき、本件の虚偽架空の名義を用いてなされた先物取引(以下「本件取引」と言う。)により相当の利得金を生じたことについては、被告人もこれを自認しており、第七回および第一一回公判調書中の証人江角高明の各供述部分などによつて認めることができる。
二、そこで右利得金が被告人が個人としてなした取引により生じ、従つてその利得金が被告人個人に帰属し、その所得となるものか否かにつき以下検討を加えることができる。
被告人は、その検察官に対する各供述調書(一四通)において、被告人としては自己が儲けるために個人として本件取引を敢行し、従つてそれによる利得も自己に帰属するものと考えている旨右訴因に符合する供述をしていることが認められる。
しかし、前掲証人江角の供述部分ならびに証人田村健二(第四ないし第六回および第一四回ないし第一六回)、同弘中温子(第八回)の各公判調書中の供述部分、証人竹藤敦徳に対する当裁判所の尋問調書および被告人の当公判廷における供述を総合すると、本件取引を開始しようと当時株式会社丸上(後に北辰商品株式会社と名義変更)は昭和三六年に行なつた本件同様の取引による利得金に対し多額(約七、〇〇〇万円位)の法人税更正決定を受けその追加決定された法人税および重加算税の支払いと同時に、右決定によつて失堕した同社の営業上の信用を回復するべく事業の拡張を急いでいたこと、そのため会社として多額の公表帳簿外の金を貯蓄する必要に迫られていたこと、本件取引は当時会社代表取締役社長であつた被告人、業務部長の江角高明、経理部長の田村健二ら会社幹部の発案により役員会の決定を得て開始されることとなり、具体的な個々の商品の先物取引については右江角がこれを指示して行いい、その損益収支、帳簿記載ならびに利益金の管理は右田村が担当し、被告人個人はこれらの点に関しては殆んど関与していなかつたのであつて、外形的には会社の営業として行なわれていたこと、又本件取引による利得金の使途は被告人、右江角らの指示により子会社(東京北辰商品株式会社および日産商品株式会社)の設立費用を始めとして、各営業所に対する報償金、役員賞与、自社株の買取りなどに充てられており、これらが主に被告人個人のためのものと認めるに足る証拠はなく、会社のためのものであることを否定できないことがそれぞれ認められる。以上の事実からしてみると、本件取引は会社が主体となつて遂行(被告人も個人としてでなく代表取締役の地位資格で参画)したものであり、従つて生た利得はむしろ法人たる会社の所得、即ち会社に帰属するのではないかとの疑いを抱かせるものがある。
被告人は当公判廷で捜査当時検察官に対し前記のように述べた理由を前途の多額の更正決定を受けたうえに更に本件取引による利得に対して会社に多額の法人税が課せられれば会社は倒産を免れないと憂慮し、一方これを個人の所得とすれば課税されないものと考えていたため本件取引は自分個人がしたと述べたと証明しており、右弁解も他の前掲各証拠に照らして一概に否定できないものであるから、右供述調書も容易に確信できず、他に本件取引による所得を被告人個人の所得と認定するに足りる証拠はない。
よつてその余の事実について判断するまでもなく、結局本件公訴事実については犯罪の証明がないことになるから刑事訴訟法三三六条後段により被告人に対し無罪の言渡をする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 野会原秀尚 裁判官 猪瀬俊雄 裁判官 小熊桂)